こんばんは。コロナウイルスが拡大しており、宮城県でもまん延防止等重点措置が適用されましたね。
飲食店の方をはじめ、多くの方が生活に打撃を受けているかと思います。
そんな影響を受ける人も、あまり影響を受けない人も、みんながそれぞれこれまで以上に感染対策を徹底して、必要な意識を持っていれば、一日でも早くコロナ化を抜け出すことができると信じていますので、みんなで乗り切りたいですね。
昨夜はアドラーカウンセラー養成講座の同期のメンバーと読書会を行っておりました。
読書会の本は、カウンセラー養成講座でもご指導いただいたヒューマン・ギルドの岩井先生の書かれた「ふたりの心理学」でした。
そのなかで「察してほしい人」について書かれており、読書会では「そういう人も結構いるよね」などと感想が出ておりました。
この「察してほしい人」なんですが、確かに結構いるかと思いますし、正直に言えば、私も相手に自分の気持ちを察してもらえると嬉しいです。
ですが、この察してほしいという考えはちょっと危険かなと思います。
なぜかというと、察してほしいという考えは、私は「縦の関係」からくる発想かと思っています。もっといってしまえば「私の気持ちをわかりなさい」と言わんばかりの態度とも言えるかと思います。
たとえ自分が「今はこうしてほしい・こんなこと言われたい」と思っていたとして、相手がその期待に応えられなくても相手に責任はありません。
むしろ、その思いをきちんと相手に伝えない自分に責任があります。
相手はエスパーでもなんでもありませんし、相手にも自分の気持ちを言葉で伝えていないのに、相手に自分の気持ちを分かってほしいと思うのは、幼稚な考えかと思います。
この「察してほしい人」は、基本的に「相手の気持ちを察することができる人」が多く、そのため、「自分は相手の気持ちが分かるのだから、相手も私の気持ちを分かるべき」というような自己概念を持ってように思います。
また、「相手も私の気持ちを分かるべき」という考えは、逆に言ってしまえは、「私は自分の気持ちを言葉に出して伝えられない」という自己概念にもなります。
やはり、言葉に出さず相手に気持ちを察してほしいと思うのは、どこか相手を対等に見れていない可能性があり、ちょっと寂しいコミュニケーションに感じます。
私は是非自分の気持ち・考えは言葉にして相手に伝え、尚且つ、その気持ちに相手が応えるかは相手の課題と認識し、「対等なコミュニケーション」を行ってほしいと思います。
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