こんばんは。三連休最後の日となりましたが、皆さんはどんな三連休でしたか?
私は今日は結構昼寝をしてしまいました。
本日は午前中は「アドラー東北」にて開催された事例検討会に参加してまいりました。
その事例検討会にて、面白い話があったので、ここで書きたいと思います。
「人の役に立ちたいと思っているが、それはありがとうと言われることの中毒になっている」という話でした。→元ネタは今の朝ドラらしいです(笑)
その話を聞いて、こんな話を思い出しました。
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宝くじの当たったおばあさんとデイサービスのAさんのケース
夫に先立たれ、老後一人暮らしをしているおばあさんがいた。
日中はデイサービス(通所介護)を受けていた。
そのデイサービスのスタッフのAさんは、とてもよくおばあさんを介護し、車椅子を押してはどこにでも連れていき、本当に仲のいい親子のようだった。
おばあさんも、Aさんにとても感謝しており、「いつもありがとう」と毎回のようにお礼を言っていた。
Aさんもよく周りの友人に、「おばあさんを○○に連れて行った」「一緒に○○をした」と楽しそうに話すのだった。
そんなある日、おばあさんに宝くじが当たるのだった。宝くじの当たったおばあさんは当然裕福となり、デイサービスではなく、高級な老人ホームに入ることになった。
おばあさんは、Aさんに「いままでよくしてくれて本当にありがとう。これからは老人ホームに入ることになったから、もう大丈夫よ」と言って、Aさんとお別れするのであった。
その後、Aさんは、周りの友人に「あんな人はもう知らないわ。宝くじが当たって高級老人ホームに入って、私をお払い箱にしたのよ」や「それにあの歳でまた結婚するため婚活してるって噂よ。信じられない!」というように、おばあさんの悪口を言うようになってしまったのです。
そしてついに、Aさんは「私はこれから外国の子供たちを支援するボランティアになるの」と言い出し、日本を去ってしまったそうです。
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と、「弱者」だったが、宝くじが当たったことによって、「弱者(同情の対象)」ではなくなり、他人からは妬まれてしまうおばあさん。自分の劣等感を内に秘め、他者(弱者)から感謝されることで、自分の存在を確かめ、自分よりも上だと思う存在には嫉妬してしまい、「弱者」を求め続けてしまうAさんといった話です。
本日の「人の役に立ちたいが、それはお礼中毒になっている」という話と繋がるかと思いました。
また、事例検討会のなかでは「たとえお礼を求めていたとしても、やっていることはいいことだから何がいけないのか」という意見がありましたが、私としても、確かに入口としては人を助けようとすることは何の問題もないかと思います。
しかしながら、自分より立場の弱い人間や他者からのお礼(見返り)を求めてしまうと、それが叶わないと分ると、このAさんのケースのように、他者を敵とみなし攻撃してしまうことにも発展しかねないのです。
目的論で考えた場合、他人に関心があり他者貢献(与えること)を目的にしているならば、「人の役に立つため(目的)に、人の手伝いをする(手段)」かと思われますが、自分にしか関心がなく、自分の利益(貰うこと)を目的にしてしまうと「人から感謝されるため(目的)に、人の手伝いをする(手段)」ということになるのかと思います。
そういった人には、「お礼なんて言われなくても、社会のために自分のできることをする」ことで、他者貢献になることと、「貢献感は自分自身で感じること」を、伝えられたらいいのかと思いました。
ありがとうと言われると私もうれしいです。しかし、それに執着して目的が変わってしまっては、本当に幸せにはなれないのかもしれないですね。
私もアドラーの言うように、貰うことではなく、与えることに幸せを感じたいと思った事例検討会でした。
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